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ウズベキスタン一人旅シリーズ⑩サマルカンドから首都タシュケントへ 〜ウズベキスタンではみんな鉄オタ〜【最終話】

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ウズベキスタン一人旅シリーズ⑩サマルカンドから首都タシュケントへ 〜ウズベキスタンではみんな鉄オタ〜【最終話】

ウズベキスタン旅の記録をインスタやらFacebookやらにアップしていたら、思わぬ反応がたくさん返ってきてちょっと驚いている。

まず、会社の先輩から「俺もしかしたら出張でウズ行くかも」って連絡がきた。まさかウズベキスタンがビジネスの目的地になるなんて思ってもみなかったけど、確かに最近インフラ整備や観光業の活性化で、いろんな分野の企業が注目してるって聞くし、可能性は全然あるのかもしれない。

そして高校の後輩からは「私も七月にウズ行きます〜!」と。こんなタイミングで行き先がかぶることある?と思わず笑ってしまった。インスタに投稿した内容が、少しでも誰かの旅行計画の参考になったり、興味のきっかけになっていたら本当に嬉しい。

そう考えると、発信するってやっぱり面白い。ちょっとした投稿が、人と人との間に新しい会話やつながりを生む。ウズベキスタンと聞いて『どこやねん?』となる人の方が多いと思う。私の個人的な旅の vlog を見て何人もの友達が本当に行ってみたくなったと言ってくれたことがすごく嬉しかった。

旅って自分が経験するだけのものじゃなくて、それを伝えることで、誰かの選択肢や感情を少し動かすこともできるんだなと、改めて思った瞬間だった。


目次

最後のウズ鉄…

ひとり旅の残り日数もわずかになってきた。
この日はサマルカンドから首都タシケントへの移動日。実はこの区間、距離としては約2時間程度で行けるのだが、ウズベキスタンの“新幹線”と呼ばれる高速鉄道「アフラシャブ号」は大人気で、チケットが全然取れなかった。これは誤算。そのため、少し遅い時間帯の便に切り替えたのだが…それはそれで良かったかもしれなかった。

というのも、代わりに乗るべき電車は私が大好きな寝台車。約5時間の乗車。3回乗った ウズベキスタン国鉄・通称ウズ鉄(わたししか言ってないか)に乗れるのも 最後の機会。新幹線も乗ってみたかったけどこの旅情たっぷりな 寝台車に再び乗れたことが 私は幸せでたまらなかった。こんなに喜び勇んで 寝台車に乗る人もそんなに多くいないと思うからウズ鉄としても戸惑ったかもしれないが…笑

ヒヴァからブハラに乗ったのと同じ寿司詰めの車内。ヒヴァは寒かったからそんな問題なかったけれど、ここサマルカンドについた列車のなかはまあ暑いこと暑いこと。冷房 なんていうものはないから窓を開けるしかない。それでも 走り出さないと風は入ってこないから それが本当に暑かった。

私の目の前の2段ベッドのお客さんは 屈強なロシア人系の人だった。体重も 80キロとか90キロとかありそうな巨漢である。私ですら 狭くて上がるのに苦労したベッド。こんなに体格のいい人が一体どうやって この狭い二段ベッドの上段に登るんだろうと私は しげしげと 見てしまった。暑さの中 彼はすごく汗をかきながら なんとか横になった。わたしはそれを見守ってちょっとホッとしてから眠りに着いた(お母さんかよ)。夜中の発車だったから もう眠くて眠くてたまらなかったというのもあるが、ウズ鉄2回目ともなると緊張感もなく、列車が揺れ出してすぐに私はぐっすりと眠ってしまったようだった。旅行先だとなかなか 普段と眠る環境が違って寝付きが悪いので、いつもドリエルのようなものを飲まないと なかなか眠れないのだが…
そんなわけでまぶたを閉じて 体感3分で首都タシュケントについてしまった。
『お前の駅に着いたぞ〜 起きろよ〜』という感じでよくわからないけど足をトントンとされて起こされた。えっ、もう着いたの??

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朝日に照らされるタシュケント駅

南駅に強制下車!?タシケント到着早々のプチ混乱

タシケントに到着したらしい。びっくり。あわてて荷物を降ろして下車。停車時間は結構長いので大丈夫。
「あれ?ここ中央駅じゃないの?」と駅を見回す私。あわてて地図を確認すると、どうやら“タシュケント南駅”に降ろされた模様。係員らしき人に「中央駅まで行きたい」と伝えても、「ノーノー」と言われて強制下車…。止まらないということか??

いや、何がどうなってるの!?と混乱しつつも、とにかく言われるがまま駅を出ることにした。旅では「理解不能だけど従うしかない瞬間」って、やっぱりあるな。笑 たまらんな。
ここで スラッとロシア語が出てきたら疑問が解消できていいんだけどな。まあとりあえず そんなに大した距離でもないし ここだって確かにタシュケントには変わりないんだからいいだろう。

初めての電動スクーター体験

役立ったのが、何度もお世話になってきた「Yandex GO」アプリ。なんとこのアプリ、電動スクーターのシェア機能まである。試しに登録してみたら、意外とあっさり使えたので、そのまま人通りの少ない道を試運転!
日本で電動スクーターに乗ったことすらないのに、初めて来た外国でならやってみようという気になったのはどういう風の吹き回しだろうか。でもあまりにいろんな場所に そのスクーターが置いてあるからとっても気になっていた。しかもこのアプリの会社のスクーター以外にも2社ぐらいあるみたいで総数だと本当に首都圏中心部には驚きの量のスクーターがあった。(もしかしたらもう東京はそんな感じなのかもしれないけど、広島市内だとLOOPを数台見る程度だからまだまだ物珍しい)

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この黄色いのがYandexのやつ

なるほど、街のどこにでも乗り捨てできるし、風をきって走るのが気持ちいい。観光でうろうろするのにもぴったり。この日は調子にのって何度も乗った。30分乗り放題プランを使って、断続的にトータル30分のったりした。

さて試運転の移動先はロシア正教会。これまでウズベキスタンではモスクばかり見てきたので、キリスト教の教会は新鮮でとても印象的だ。こじんまりしていたが、厳重な門。詳しいことはよくわからないけど 水色で可愛くておとぎ話の中に出てくる 挿絵のような感じがした。水色と白の取り合わせで何段にも連なって 先っぽが細くなっていく細長い建物は、まるでデコレーションケーキの上にちょこんと乗せられた人工の砂糖菓子みたいだった。この時点で 朝7時ぐらいなのだがポツポツと門から人が入ってきて 皆お祈りをしに行っていた。

日本人の手で建てた「ナヴォイ劇場」に感動

続いて訪れたのは、タシケントの中心部にあるナヴォイ劇場。ここ、実は日本人にとってとても特別な場所。第二次世界大戦後、満州から連行された日本人捕虜たちがソ連の強制労働で建設に関わった歴史がある。たった2年で完成し、その後、彼らのほとんどは無事に日本へ帰国したそう。そしてその19年後、1966年にタシケントを襲った大地震でも、数多くの建物が倒壊する中、この劇場だけが無傷で残ったというのだ。現地でも「日本人の建築技術が素晴らしかった」と評価されていて、こうした背景からウズベキスタンの人々の対日感情は非常に良いのだとか。実際、旅中も現地の人たちの親切さには何度も助けられた。

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これを、たった2年で…

同じ日本人として気になっていた場所に来れてよかった。建物の外観はどっしりと立派で、ぐるっと一周しながら、ちょっと感慨深い気持ちに。内部は見学できなかったけど、十分雰囲気を楽しめた。
朝早い時間だから劇場も近隣店舗も何〜もあいてない。切符売り場 とおぼしき カウンターの窓は本当に狭かった。切符の売り子として働いたら、あまりに閉塞的で鬱になってしまうんじゃないかというほど小さかった。
朝早くの観光はどこにも誰も居なくて、なかなかアリだった。

地下鉄がまるで美術館!?

そして次に目指したのは、当然ここ。“乗り物好きなわたしがタシュケントでどこよりも行きたかった場所”。それが「コスモナフトラル駅」。

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コスモナフトラル=宇宙飛行士。その名の通り、駅構内はソ連時代の宇宙開発をモチーフにしたデザインで、まるで美術館のような美しさ!柱や壁の装飾、照明まで一つひとつが芸術的で、「こんな地下鉄の駅が世界にあるなんて…」と圧倒された。

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すべての柱は分厚い装飾ガラスで覆われていてキラキラ

ウズベキスタンの地下鉄駅はどこも本当に個性的。一見の価値があるなんてものじゃない、マストです。地下鉄駅めぐりは例え鉄オタじゃなくても絶対におすすめ。ソ連時代に建設された駅がいまも使われていて、ひとつひとつの駅がアートギャラリーみたい。天井のデザイン、彫刻、照明、デザイン…どこを切り取っても写真映えする。しかも 駅ごとにそれが全部違う。一体 総額いくらかかっているんだろうか。本当に力のある国だったんだな ロシアとは。

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改札さえ出なければ乗り降りし放題だし、思ったよりも運行の頻度は多い。駅によってはちょっと薄暗くて、なんとなく秘密基地みたいな雰囲気もあったりして、それもまた良い。現代的な雰囲気の駅ももちろんある。正直、観光スポットとしてタシュケントがここまでおもしろいとは思ってなかった…!全部でいくつの駅を回っただろうか。7〜8個かな?

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たまたまモニターの色と電車の黄緑のライトがマッチしてた瞬間

正直私の洞察力なんてそんなに深くはない。知識だって全然ない。歴史的なことをちょっと調べたぐらいでそんなに深く勉強してるわけじゃない。それでもなお、旅先で何かをみて、それをきっかけに調べたり、思いを馳せたり、これはこういうことかな?と推察したり…新しいことを知ろうとすることが何より大事だと強く思う。

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コスモナフトラル駅には翌日も行ってしまった。この青のグラデーションのタイル(陶器)とか、ひとつひとつの宇宙飛行士の顔のデザインなど、ゆっくり見て回ってしまった。

謎の朝ごはん、正体不明のパンケーキ

そうそう、ナヴォイ劇場ちかくの素敵なカフェで朝食を頼んだときのこと。メニューの写真を見て「パンケーキっぽいし、これにしよう」とオーダーしたが、出てきたのは想像と全然違う味(見た目はパンケーキ)。中はしっとりというよりも生焼けのパンケーキみたい。ただ粉の味はしない…むしろヨーグルトの水気を抜いて団子にしたような食感。しかも下には苺味のピンク色のヨーグルトソース。結局これは何だったのか、最後まで正体は不明。笑
でも不思議とクセになる味というか…びっくりはしたけど美味しくないわけじゃないのだ。思った通りのものがなかったり 意外と美味しくて 予想を裏切られたり…旅先の味覚の楽しみはいつもサプライズがつきものだ。

地元感たっぷりのチョルスー・バザール

旅の終わりが近づいてきたので、チョルス・バザールでお土産を調達。観光地価格だろうなとは思いつつ、交渉も苦手なのであまり値切れず購入。ドライフルーツ3種類と、前日にマッサージ店で飲んで感動したハーブティーをゲット。一体同じ量のものを地元の人だったら 結局いくらで買うのだろうか?私の代わりに交渉してくれなんて言わないから、現地人価格はいくらなのか それだけとにかく教えて欲しい。気になって仕方ない。笑

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この写真を見せて買った紅茶は、そこまで赤くはならなかった笑

やはり 不思議に思うのが これだけショッピングモールやスーパーマーケットが普通になった世界なのになぜバザールには値段・値札がないのだろうか。米とかちゃんと値段が書いてあるものもある。紅茶とかドライフルーツとか観光客 っぽい人が買いそうなアイテムだけ あえてつけていないということなのか???私には どうもその辺がよくわからなかった。外国人相手のお土産屋さんであっても、わかりやすく値札つけたらもっといっぱい売れるんじゃないか なんて思った。私のように毎回の交渉がなんとなく面倒くさく感じて…じゃあ買わなくていいやって思っちゃったことも結構多かったから。
バックパックしかないので買えなかったけど、かわいい模様の陶器やティーセットなどいろいろ魅力的なものが目白押しだった。

ああ〜美味しい

バザール併設のレストランにて指さしオーダー。ピーマンに詰めた料理にも挑戦!ピーマンの苦みがつよくて大変美味しかった。これも現地ならではの味わい。とにかく全体的に しょっぱいからご飯の後はいつも喉がカラカラ。なんでこんなどれも味が濃いのだろうか。ナポリタンに見える麺料理も、麺自体がかなり塩味が強い。でもどれも美味しいのだ。

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ピーマンの肉詰め本当に美味しかった

日本から こんなに離れていて、ディルとか馴染みのない香りも多い。でも極端に辛いものもないし、すごく日本人のテイストには合っていると思う。どこでなにを食べてもおいしいなという感想だ。

首都タシケントは行政の中心だけあって、また旧ソ連感がすごい。建物が大きくて重厚。区画がデカい。行ってみたい場所が1ブロックしか離れてなくても、その1ブロックが巨大だから思いのほか歩かざるを得ない。なにより日差しが強い。かといって夜は急に冷えるからジャケットも持っていたい…やはりスクーターなどが便利だ。
都市の中にも人々の暮らしと歴史がしっかりと息づいているのを感じた。電動スクーターやアプリを使って、現地の生活にちょっと触れることができたのも貴重な体験。迷って、笑って、食べて、驚いて——。そんな1日。

次の日も街歩き

ひたすらあてもなく徘徊を続け、来たバスに飛び乗ったり、またもシーシャでまったりしてみたり…
ホテルの共用部で話したカナダ人マークさんのおすすめで、ウズベキスタン国立応用美術館(Davlat Amaliy san’at muzeyi)にも行ってみた。マークはもうリタイアしたおじいちゃんである。夫婦で長期旅行をしているなんて羨ましい。とにかく 欧米人のまったり旅行は時間がある。全然 急いでない。頭のんびりとロビーでパソコンを開いて 次に行く国や土地のリサーチをしたり予定を立てたりしている。羨ましいスタイルだ。

ウズベキスタン国立応用美術館Davlat Amaliy san’at muzeyi

ここは手工芸品が展示されているこぢんまりとした施設なのだが、カフェもあるし中庭もきれいでひと休みするには最適だった。
何と言っても私の目がハートになるのはたくさん展示してあるカーペット類。(というか布系のもの全般)
デザインや柄が本当に美しくてうっとりするほどだ。

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年代もののカーペットなのに保存がよいのか、もともとそういうものなのか、一切色がぼんやりしていないことにも驚くし、古いカーペットの模様がなんともモダンで古臭くないことがまた驚きだった。このパターンのワンピースやシャツが売ってたら普通にかわいいじゃない?というかんじ。(これがヨーロッパのものだったらちょっとどうしても年代によってはババ臭い服になるんじゃないかと思うのだ。)

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気の遠くなるやうな刺繍の数々。織ることで模様をだしてるのもあるし方法は様々だ。ヒヴァのお土産としてもスザニを売っていたが、やはりこういう色合いではなく地方によってもまた違いがあるのかな?と思ったりもした。

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かなりモダンですよね

もちろん自分の家のテイストには合わないし、なにより高価なものなので気軽に購入というわけには行かないが、ウズベキスタンの布製品は全部が素敵だった。東南アジアのお土産品はどれもなんだかちょっと安っぽい質感だし、あまり買いたいと思うデザイン自体もなくて、ほとんど毎回何も買わないで帰ってくるのだが…ウズベキスタンは本当に魅力的なものが多いな としみじみ感じてしまった。0から自分の家を建てたり、2軒目のゲストハウスをオープンするとかもしも将来 あるとしたら、是非こういうデザインが似合うような温かみのあるリビングにしたいなと思ってしまったほどである。

最後のハイライトは地元食堂

帰国日の前日。最高だったのはやはりなんと言っても中心部からかなり離れた住宅街にある、マップにものってないような地元食堂に入ったことだ。

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普段は全く 炭酸飲料 飲まないようにしているのだが、
暑いアジア旅ではつい飲みたくなるスプライト。私にとって旅の味。

お腹が空いたところにシャシリクの美味しそうな匂いがしてきて、なんとなく入ってしまった。かわいいテーブルクロス。
タシュケント駅の付近のいわゆる一等地のところでは(銀座みたいなもんだろう)こういう リーズナブルな地元食堂 というのが まず見当たらなくて、レストランではどうしてもシャシリク1本30,000スムほどする。
でもこういう住宅地の本当に地元の人しか行かないようなところでは1本10,000〜20,000スムぐらいだ。

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ウズベキスタン!って感じの模様のビニール製のテーブルクロス

マンティを注文したのに全然来なくて、わいのマンティは?と聞いたら『マンティないからプロフ食べんちゃい』と言って(多分そう)、プロフ釜の前にわたしを連れていき、盛り付けだした。なんと美味しい炭酸ざくろジュースまでくれた。言葉は通じないのになぜか心が通じて(?)美味しいごはんをふるまってくれた食堂のおじさん――壮大な世界遺産ももちろん素晴らしかったけれど、こうした何気ない出会いや会話が、いちばん心に残ってしまうんだよなあ…

プロフ、スプライト、シャシリク2本で65,000スムだったから、やはりリーズナブル!

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お互いウズベク語と日本語で会話しており表面的にはなにも通じてないように思えるのだが、全部通じ合うから不思議である。笑

今回のひとり旅は、現地ツアーもつかわずに、完全に自分の足で回ったウズベキスタンの冒険。行く先々で出会った人々のあたたかさ、あふれるホスピタリティに、何度も心がほぐれた。中でも強く印象に残っているのは、ウズベキスタンのティーンエイジャーの女の子たちの明るさと積極性。他にも、ブハラでシーシャを一緒にしながら3時間話しこんだレストランマネージャーさん、英語で丁寧に地元の暮らしを教えてくれたサマルカンドのマッサージ店のマネージャーさん、たくさんの質問に答えてくれた配車アプリのドライバーさん…
そういうちょっとしたやり取りを重ねたおかげで、ただの一観光客よりも、この国の文化をほんの少し深く理解できたと思う。心から、ありがとうと言いたい。

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パトカーもシボレーだった

やはり東南アジアだったら『またここは再訪しよう』とか気軽に思えることもあって、そんなに出国するときにエモい気持ちにはならないのだ。遠いからこそ、すぐにはまた来られないからこそ、最後の一秒まで全力で楽しもうと思ったし、本当に帰国時の空港でこんなに寂しいなんて、想像してなかった。こんなに名残惜しい気持ちになるなんて。

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THE EVERGREEN HOSTELのオーナー・はづきです。 The owner of THE EVERGREEN HOSTEL.Thank you for reading our blog.