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わたしが英語話せるようになるまで

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わたしが英語話せるようになるまで

【わたしが英語話せるようになるまで】

こんにちは。オーナーHazzです。

予想以上に長くなりましたが、一言でいうと”出川モーメント”を何度も経験して図太くなることの重要さについて語ったものです。笑
(英会話というよりも、もはや度胸とかそういう精神的な姿勢について….?)

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昨日、6月・8月に住み込みスタッフとして働いてくれるうちのスタッフのゆうき君(大学4年生)と話していた。ホステルでの勤務はどう?と聞いたら、めっちゃ楽しいですと。おお、よかった。

ゆうき君はもともと広島の人で、4月から休学中。9月からフィリピンに完全自費で語学留学することを決めていて、それに向けこれまで自分で貯金してきたり、ホステルでも毎日必ず英語の勉強をしているというかなりまじめな青年。
私が広島県内の大学に送りまくったポスターを見て連絡してきてくれた。
(スタッフ求人というよりは、ホステルにロングステイすることでプチ留学しませんか~的な紹介ポスターだったんだけど、あの努力は無駄ではなかったのだと胸が熱くなった)

ちなみに彼の英語力(というか英会話力)としては、まだビギナー。チェックインの台本などは何度も何度も繰り返し、とにかくいまは丸暗記して使っているような状態。その場でとっさに英文を作り出すのには時間がかかっている模様。もちろん彼の頭の中にはいろいろ文法や単語が詰まっているんだけど、会話となると苦労しているという感じ(痛いほどわかる~)。

ただ聞くところによると、先週末はロシアから来たゲストと仲良くなって、なんと2人で宮島に行ってきたとのこと。えらい!これまで彼は外国の方々との交流は全くなかったので、もちろんそういう体験も初めて。「その人にグーグル翻訳使うな!って言われちゃったから、1日そういうものに頼らずなんとか乗り切ったんですよ…」と振り返るゆうき君は感慨深げだった。
(わたしもいつ翻訳に頼るのやめさせようか考えてた。笑)

***

この話を聞きながら、私は2014年の夏にミャンマーに行ったことを思い出した。かなり鮮明に。1つの国に一週間もいたのは初めてで、あれこそTHE バックパッカー旅だったと思う。そしてあの旅行が絶対に自分の英語学習・英会話の転機になったという実感がある。

正直な話、それまで自分は英会話が本当に苦手だった。
というのも、大学受験やTOEICに向けて相当な時間を英語学習に費やしたガリ勉だからこそ、会話になるとうまく表現できないストレスとか、言葉に詰まる沈黙とか、支離滅裂な文法で話してる恥ずかしさがどうしても先に来てしまって、目の前の人との会話そのものをまったく楽しめていなかったから。

大学のキャンパス内にある英会話ルームとかに出入りしてたこともあるけど、会話のスピードに全くついていけず、悔しさと自己嫌悪にしか浸れないから、必然的にあまり足が向かなかった。特に「すでに英語がしっかり話せる日本人」の前でみじめな思いをしながら英語を話し続けるというメンタルがなかった。笑 TOEIC900点以上取ってても(最大瞬間風速スコアだけど)全然話せないとかまじで笑うw…いやしかし全然笑えなかったんだよね、当時は。

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【2014.8】ShawnとCalvinと屋台メシ胃袋アドベンチャーしているとき。わたしは全然お腹平気だった。衛生がどうとかより、ミャンマーの料理はすごい油っぽい。

さてミャンマーの中心部・ヤンゴンでは、当時シンガポール赴任中で、出張でミャンマーに来ていたCalvin Chong Koh Chee とShawn Chenと意気投合し、まる1日一緒に過ごした。さすが、2人とも英語が堪能。死ぬほど遅いミャンマー国鉄環状線に乗り景色を眺めて、適当なところで降り昼ごはん食べて、歩いて、マッサージも一緒に受けて、夜は屋台で「俺お腹壊すかも~w」とか笑い合いつつ怪しい屋台メシ&水より安いビールを楽しんだ。
バガン遺跡へ向かう、これまた超絶遅いミャンマー鉄道に乗ったときに知り合ったアメリカ人とは、その場のノリでなんと遺跡をずーーーーっと一緒に回ることになっ(てしまっ)た。それほど外国人の友達もおらず、まる1日マンツーマンでネイティブと一緒にいるとかもちろん初めてで、観光しながら英語をひねり出し続けるということをしてたら肉体的にも精神的にもグッタリしたのをいまでも覚えてる。(しかも当時はホステル外ではネットが使えない状態で旅行してたので、翻訳とかも無理だった)
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途中ゲリラ豪雨みたいなのが降って、いきなりドブ川が出現して戻れなくなって2人で立ち往生とか、夕日を楽しんでたらあっという間に真っ暗闇になってにっちもさっちもいかず困るとか、細々ハプニング続きだったけど、その間も当然英語でずーーっと過ごした。

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バガンで泊まったホステル同室だった人々。名前も連絡先ももう分からない。みんなでやったトランプのゲームがなんだったかも分からない。でもあの夜の思い出がいまの自分を作っていると思うと、いまさら会ってありがとうって言いたい。

バガンで泊まったホステルでは、夜に同室の4人でトランプをした。いろいろな国から来てた。ルール説明も分かったような分からないような理解度だったけど、なんとかJOINできた。
ミャンマー滞在中は、何度も出川哲朗タイムがあった。
(※彼は『世界の果てまでイッテQ!』という番組で、ボキャブラリーは少ないし、発音は下手くそだし、英会話のレベルは相当低いものの、外国の方に積極的に話しかけながらなぜか毎度見事にミッションコンプリートする)

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【2014.8】隣の男性がUSからのGraeme。その隣がValesca。バガンのどっかのホステルの前で飲んだビール、とてもおいしかった。

とにかく単語をつなぐ。会話を長く中断させない。言いたいことをちゃんと言う…自由の女神をフリーウーマンとかホワイトビックドールとか言っていた出川をわたしは笑うことはできない。ミャンマーでの1週間は、話せないことを恥ずかしいと思わないどころか、思っている暇がなかった…ミスを恐れる暇もない。

あの旅で、ようやく解脱できた…

そこからは気の持ちようが違うので、全然平気になった。
まず各所のホステルのCommon roomやドミトリーで堂々とふるまえるようになった。いつ自然発生的な英語の会話が始まっても逃げ隠れしなくて大丈夫だから。笑
それから英語ぺらぺーらな日本人がいてもちゃんと自分は自分レベルの英語を話せるようになった。英語はしょせんはツールだし、そんな些末なことで気兼ねして会話自体を楽しめないのは損すぎる!とやっとわかったから。

バガンで知り合ったアメリカ人と東京で再会していろいろ回ったりしたし、ヤンゴンで会ったCalvinとShawnとはその後シンガポールや香港で再会できた。

世界は広くて狭い。
語学より度胸と笑顔。(うちの採用ページにも書いてある)
当たって砕けても、もう1回やり直す。
…こんな個人的なモットーができて、今に至る。

***

うちのスタッフ・ゆうき君は、そこまで解脱できたかどうかは分からないけど、ロシアンゲストとのマンツーマン宮島観光が確実に何かしらの転機になったとは思う。身振り手振り、思いつく限りの英単語でなんとか伝えるあの出川モーメントをもっともっと経験して、頑張ってほしい!

Good luck!

Author

THE EVERGREEN HOSTELのオーナー・はづきです。 The owner of THE EVERGREEN HOSTEL.Thank you for reading our blog.