こんにちは。THE EVERGREEN HOSTEL・オーナーのはづきです。当時を振り返りながら、このホステルができるまでを書いています。
■2015/12/18 -免許証なくした
引っ越しでばたばたしているうちに気づいたら免許証をなくしていた。定期入れに入れておいたのに…こないだ補佐と飲み会をしたときの帰り道?それとも次の日ワインをたくさん飲んだお店とか?それとも12/17に成田空港で落とした?(成田空港から広島まで6千円弱で来られます!就航後結構お世話になっています。 春秋航空:http://jp.ch.com/ )
うだうだ考えていても免許証は出てこない。免許センター、行くか……。(遠いので非常に面倒)
キツい広島弁を話す、めちゃめちゃ怖い警察官が対応してくださり、とりあえず免許は再発行された。だがこのとき発行された免許証は、またすぐ書き換えることになる。
■2015/12/19 -華の女子(自動車学)校生ライフ
ホステルが無事オープンしたらなかなか通うのも難しくなるだろうということで、意を決して4輪免許を取得することにした。MT車にした。バイク通学が始まることとなった。バイクに乗ってるくせにMT車には最初かなり苦戦した。あと自動車のサイズ感が分からない。全然わからない。しかし冬の間にとり終わってしまわないといけない。
広島に来て思うのは路面電車が怖いということ。教習所では停留所付近は徐行と習ったのに、誰もやらない。すごく怖い。バイクでまたごうとすると、軌道が滑る。凸凹も恐ろしい。というかよく見て渡らないとひろでん来てるんですけど~!
■2015/12/21 -設計の宮崎さんとミーティング開始
この日から定期的に宮崎さんとの設計ミーティングが始まった。メールでやりとりするよりも何十倍も速い。
何度もミーティングをするうちに、いいアイディアが浮かぶ。これで何回か客室部分のレイアウトが変わり、ベッドをもう1台増やせることになった。1人で図面を見ていてもこういうことは起こらないのに、話し合いだといろいろ思い浮かぶということが多いのは不思議だ。もともと考えていた壁の位置をずらしたり、女性専用ドミトリーのベッド数を調整したりと、毎回よく修正していただけた。そして素材などを決めていきながら3Dパースを作ってもらい、イメージをさらに広げる。やはり図面で認識できている気でいても、立体的なパースになると「ちょっと雰囲気がヘンだね」みたいなことに気づける。
割と早い段階で二段ベッドのイメージと素材が決まった。というのも二段ベッドが全工事費に占める割合がかなりのものであったため、デザインによって全く概算が違うのだった。紆余曲折があり、ベッドの側板・床板は唐松無垢板(カラマツフローリング)に。
概算からはまだ工事費を削る必要があったので、このころ作ってもらったイメージ図と実際は結構異なることも多い。壁紙を選びおわった後に「やっぱ壁紙を発注して職人さんに張ってもらうところは、バッサリ削ろう!」となったりした。(後日自分たちでペンキを塗ったりして対応)
このころからだいたい週1で宮崎さんのオフィスに足を運んだ。
■2016/1/7 -融資の申請
ついにJFC(日本政策金融公庫)の創業融資へ本申請した。もちろん年末年始に「最終的にこういう内容で融資の申請をするつもりだ」というのは主人に報告した。(ちなみにJFCの創業融資は無担保・無保証人である。この件に関しては、建物賃貸契約とは違って、特に主人が連帯保証人になるとかいうことはない。) この日は書類を提出し、必要なものがあるかをチェックするだけであった。面談の日取りは1/13にきまった。ちなみにこまごまと用意する書類があるので(通帳のコピーなど)、この日よりも前に中国支店の窓口で「面談時に何が必要になるか」を確認しておいた。これを確認しないと面談時にすべての書類がそろわなかったりするので要注意である。
■2016/1/7 -融資の面談
ついに面談の日になった。この日に備えて何度も説明資料を見返してプレゼンに備えていた。が、おそらく新宿支店から送られていたこともあって呼んでいてもらえたのだろう。結論から言うと、全然コンセプトとか事業内容についてはツッコまれなかった。いくつか質問事項があったが、資料の補足説明程度で済んでしまった。では面談では何を中心に聞かれたか。「現実的な貯金額の確認」がメインである。主人と自分の通帳の中身をガッツリ見られたり、両親からの送金について確認されたり。さすがに両親の資産状況まで見せるということにはならなかったものの….とにかく銀行からしてみれば、詳細な事業の見通しは当然のことながら、「経済力の後ろ盾がちゃんとあるのか?」という1点が全てなのである。
お金がないから借りたいのに、お金(貯金)がないと貸してもらえないのだ。なんとも不思議なのだが、まさにこういうことなのである。うむむ。
とにかく出すものは出した。資料も説明もやりきった。あとは祈るだけである。考え出すと心配が止まらない。
■2016/1/19 -融資の承認
JFC創業融資が正式に承認された。1週間かからずに決裁が下りた。電話が来た時には本当にうれしかった。このステージをクリアしないことには、そもそもホステルの夢がはかなく散りそうになるので当たり前にパスするところなのだろうが、やはりそれでもヒヤヒヤした。
実はすぐに工事が始まるわけではないということで、1/18から海田にある某自動車メーカーの下請け工場に派遣社員という形で仕事をしていた。「承認ですよ」という電話をもらった時も勤務中だった。「①建築確認(用途変更の許可)の書類と、②建物の賃貸借契約の書類がそろったら融資の実行ができますので」ということだった。
翌日すぐに借用のための書類一式が届いた。スピーディーで非常に助かった。
後日分かったことだが、JFCのご担当者・Sさんは、なんとわたしの大学ゼミの先輩と一緒に仕事をしていたことがあるらしい。これは私のFacebookの投稿を読んで連絡をくれた先輩が教えてくれた。まさにイッツァスモールワールド!って感じである。どこにどんなつながりがあるか分からないものだなあと思った。
とまあこのような調子で、フルタイムの派遣の仕事をしながら、創業準備をして、なおかつスキあらば自動車教習に通い…と広島でも変わらずに濃い日常生活を送り始めた。多分多忙なぐらいが自分にはちょうどいいのだと思う。派遣の仕事を始めてよかったのは、お金以外にもある。地元の人との交流があったことである。生粋の広島人が多かったので、いろいろと教えてもらうことができた。何よりバリバリの広島弁に囲まれて仕事をするのはすごく面白かった。